「ところでふたりとも、どうしてここに?」

無断で店を閉めたはその二階にマスター夫婦から借りている一室へとエルリック兄弟を案内した。勝手に終わらせちゃっていいの、とエドには聞かれたが、このポートラインという街はそういったことが許されるのんびりしたお国柄なのだ。下の小さな花屋もマスターがすぐ近くの喫茶店を経営する傍ら、気が向いたら開けるというもともと適当な店舗だった。それをこんな流れ者のに任せてくれているのだから、それだけでマスター夫婦の人柄が知れるというものだ。
の入れた紅茶を飲んで感涙にむせぶアルの横で、エドがほとんど空っぽの部屋をぐるりと見渡しながら言ってくる。

「いや、さんがここにいるって聞いて」
「僕たちしばらくラッシュバレーにいたんですけど、用があってこれからセントラルに戻るんです。一緒に帰りましょう、さん」

顔を上げたアルの瞳は、失っていた月日を取り戻そうとするかのように輝きを増す。そのキラキラした四つの目にじっと見つめられ、カーペットに座り込んだは逃げるようにして自分のティーカップに手を伸ばした。紅茶に混ぜたポートラインの蜂蜜は東部や中央に出回っているものよりも成分が凝縮されていて好みだ。

「あたし……帰っても、いいのかな」

ふたりの両目が見開かれて、さらに食い入るようにを見据える。はまだ温かい紅茶をひとくち口にふくんで南向きの窓を見上げた。

「ロイと別れていろんなところを転々として、結局落ち着いたのはこの街だったの。セントラルは危険だから、ロイはあたしを護るために突き放したんだって聞いたけど……それも、リザが教えてくれたことだし。ロイが今でもまだあたしを必要としてくれてるか分からない。こんな状態で帰っても、もしセントラルにもうあたしの居場所なんかなかったら」
「な、なに言ってるんですか。大佐にはさんが必要ですよ!」

必死の面持ちで声をあげたのはアルフォンスだった。取り戻した両手で身振り手振り、なんとかそれを表現しようと試みながらあとを続ける。

「僕たち、中尉に連絡をもらったんです。さんがポートラインにいるはずだから、セントラルにくるときは連れて帰ってきてほしいって。それって今もずっと大佐がさんを待ってるってことですよ。もし口にはしてなかったとしても、中尉がそれを分かってるってことですよ」
「……リザが?」

本当はあたしになんか、帰ってきてほしくないはずなのに。ばかだよ、みんな。リザもロイも    大馬鹿者だ、あたし。だけど。
は彼らの視線を避けて立ち上がり、窓のほうに歩いていった。快晴。雲ひとつない、青空。

「でもそれはリザの思い過ごしで、ロイはもうあたしのことなんか要らないのかも。だって本当に必要だったら、自分で探しにくるはずでしょう?」

どこにいても必ず見つけ出す。子供の頃そう言って別れたのは、ロイだったのに。

「あーーーーもうじれってぇ!!!」

バン! と何かが弾けるような音がして振り向くと、飛び上がったエドが握り締めた拳をイライラと振り解くところだった。

「あんたはどうしたいんだよ! 戻りたいのか戻りたくねぇのか!!」
「兄さん!!」

アルも慌てて立ち上がり、激しい剣幕で捲くし立てるエドを押さえ込む。エドはハッと我に返って項垂れるように急に小さくなった。

「す、すみません、俺……つい」
「ううん、いいの。鋼くんの言うとおりよ」

はなんだか笑い出したい気持ちになったが、笑いが出てくるよりも先に空しさが戻ってきた。首を反らして低い天井を見上げながら、呼吸とともに吐き出す。

「あたしは……よく、分からないわ。卑怯な言い方かもしれないけど、必要とされないことが怖い。あたしは十四からずっとセントラルにいて、セントラルはあたしの家だった。離れるときは怖かったわ。一度は生まれ故郷に戻ったけど、そこはもうあたしを必要とはしてくれなかった。東部、西部、南部……いろんなところを転々として、ようやく流れ着いたのがこの街だったの。ここは、あたしに仕事も住むところも与えてくれた。ロイには会いたいわ    あんなに愛した人は、他にいないもの。でも、もうもし彼に必要とされてないことが分かったら? この一年の間にセントラルの街が変わって、もうあたしの居場所なんかなくなってたら……」

長引く沈黙が、凍える胸を引き裂く。だが程なくして、奇声をあげながら頭を抱えたエドはそんなをものすごい目で睨みつけて声を荒げた。

「どーでもいいだろそんなこたぁ!! 居場所がなけりゃ作ればいい、でもあんたには大佐っていうずっと待ってる場所があるじゃねぇか!!」
「兄さん!! ごめんなさい、さん……でも、僕たちも旅立つ前に家を焼いたから……だから、故郷っていうものの重みは、少しは分かってるつもりで」

は何かに引き付けられるように、エルリック兄弟の狂おしい眼差しを見つめた。それは、失い、取り戻して二度とはなさないと誓った……。

「でも僕たちには、待ってくれてる人たちがいた。たとえ生まれ育った家はなくても、そこがいつでも僕たちの故郷なんです。さんにも、待ってくれてる人がいます。その人にとってもきっと、さんこそが本当の故郷なんです。僕たちと一緒に帰りましょう。大佐、心待ちにしてると思いますよ」

そんな。どうして。だが見つめる二人の強い眼差しに、の抵抗は徐々に和らいでいった。強ばった肩から力を抜き、窓の桟にかけていた手のひらを振り払って嘆息混じりに聞き返す。

「……本当?」
「本当」
「嘘じゃない?」
「嘘なんかつきませんよ」

あっさりと返してくるアルフォンスに、は小さく噴き出して降参の形に両手を挙げてみせた。

「信じるわ。だけど今すぐにここを出るというわけにいかないから、しばらく待ってもらえるかしら。マスターと話をして……この部屋も引き払わないと」
「僕たち別に急ぎませんから、少しこのへん観光してこようか、兄さん」
「そーだな、ポートラインは初めてだし」
「だったら港近くの市場に行ってみるといいわ。外国の食材も多いから楽しめると思うわよ」
「ほんとですか? わーい兄さん、僕シンの唐揚げ食べたい!」

その頃にはすでに、ふたりの表情は子供らしい無邪気なものに戻っていた。手のひらを打ち鳴らして喜ぶ兄弟の横顔に、は安堵の息を吐いてそっと声をかける。

「ありがとう」

ふたりはきょとんとした様子でこちらを向いた。その顔付きは、確かにまだ子供で    それでいて彼らは、もう子供ではないのだ。

「あなたたちは本当に、つらい道のりをずっと歩いてきたのね」

アルフォンスは気まずそうに微笑んだだけだったが、エドワードは深い金色の瞳でじっとこちらを見つめたあと、言いにくそうに頭の後ろを掻いてもごもごと言ってきた。

「俺、さんがこれまでどんなふうに生きてきたか分かんねーけど」

そして思い切るようにきっぱりと顔を上げて、

「でもつらい道っていうならきっと、大佐も負けてないぜ。だからこれからは、すぐ近くで支えてやったらいーんじゃねーの? さんいなかったら、多分あの人生きていけねーから」
「そ、そんな大げさな」

何を言い出すのだろう、この子は。あたしがいなくても、ロイはひとりで    いや、違う。軍の大切な仲間たちときっと、これまでのように恙なくやっていける。これからは軍の上層部に立って、新しい国造りを担っていくはずだ。その隣に、あたしがいてもいなくても。

「あー、またつまんねーこと考えてる」
「そっ……そんなこと、ないわよ」
「ほんとに? どうせまたロイにはあたしなんかいなくてもーとか思ってるんでしょ。ったくいい加減にしろよな、こんなとこまで俺たちが迎えにきてんのは何のためだよ」
「ごっ、ごめんなさいねあなたたちまでなんだか厄介な痴話喧嘩に巻き込んじゃったみたいな感じになってて! どうせあたしは素直じゃないわよ、素直に帰りたいなんて言えなかったわよ!」

耳まで赤くなって喚くをエドがヒューヒューと口笛を吹いてちゃかす。お返しとばかりにもウィンリィの名前を持ち出して冷やかしの応酬がはじまったとき、やれやれと肩をすくめたアルがはたとのほうを向いた。

さん、さっき兄さんが言ってたことだけど」
「えぇ? なに?」
「大佐が、さんがいなきゃ生きていけないって話」

アルくんまで一体なにを。だがそう切り出したアルフォンスは、少し照れたように微笑んでみせた。

「案外、大げさなことなんかじゃないと思いますよ」
(ヤシロ)